派遣を辞めた
辞めた、というのは正確じゃないかも。
もう更新しません、と言われてはいそうですかと文字通り波風立てずに受け入れただけ
事実上の解雇だと思うけど、自分の意思で更新を望まなかった旨、書類を書かされた
まあ合ってないこともないので、大人しくサインしといた。
万が一新しい職場を紹介されたところで、実際のところもうこれ以上、一から始める気にもなれなかったのだ。
そうした方がいいと理性は言うけど、心が、もうええわーいややわー(なぜか関西弁)て言ってる感じだった。
まっとうと思い込んでいた事から降りる
自分の人生をとりあえず〝まっとう〟に回して行くモチベーションが低下しているのだ。
社会に出てから過去20年近くずっと、自分の考える〝まっとう〟とは、正社員になれる可能性のある事務職、だったのである。
あらためて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある
なぜそんな考えに至ったかというと、社会に出た頃は超就職氷河期だったのだ。
落ちる以前の問題で、受けに行くとこがない
専攻が美術だった事もあり(美大ではない、総合大学の学部の一部)余計に選択肢は無かった。
あてもなく卒業後、資格のひとつでも有った方がいいのかな程度の気持ちで(のんきだ)どこかで見つけたユーキャンみたいな資格講座で、人気が一番だった医療事務の講座を受けた。
受けて資格を取ったら、ほぼ自動的に派遣に登録して貰え、仕事先も営業さんが見つけてきてくれた。
就職面接なんて、できれば逃れたい自分は渡りに船、の気分だった。面接は全部担当の営業がやってくれて、私は横で適当に頷いていればよかった。
その後はずーーーっと派遣会社まかせで20年近く働いてしまった。わたしは変化が苦手で、極度にめんどくさがりなのだ。生活が回っていれば、なんでもいい。
書いていて本当に適当だな、自分。当時は必死だった(と思っていた)けれど。
非正規だけど、一応生活できたので満足だった。
両親はホッとしていたが、おそらくがっかりもしていた。わたしは小学生くらいまでは〝優秀〟だったのだ。だが子供は親の人生が上手く行っていることの証明じゃない。
わたしにはわたしの理由があって生きている。諦めてもらうしかなかったし、実際彼らは子供の不出来に慣れてくれた。
そんな具合に〝まっとう〟を手に入れた。
そういえば結局、正職員になれた同じ派遣のひとはいなかった。直接雇用のパートならいたかも。
現実が変わった自分もかわりつつあった
しかし法律が変わった。雇ってくれた上司も定年を迎えて転職した。
わたしの居場所は特に用意されてなかった。
派遣の営業を通じて雇い辞めを告げられただけ。なかなかあっさりしたもんだった。10年以上居たんだけど。
自分もここ数年はだんだん同じ事のルーティーンにうんざりしてきた。10年以上やればいくら変化が嫌いな自分でも、退屈するには十分だ。
それに、二十歳過ぎてからの歳月が思った以上に早く過ぎ去って行ったので正直びっくりしている。
現実世界の時間は20年あったのに、実感としては正味10年分くらいの時間しか体感していない。
や、10年の根拠はないんだけど。ただなんとなく、10年しか経ってない様な気がしてしまうのだ。
それはやばい。
あと20年したら還暦だよ。
この先10年しか体感しないのに、60歳になっていて、目も足も今より悪くなって、楽しめる本や映画が限られるんだとしたら(想像)、まともに楽しめるのは体感10年だよ?!
いいのか自分、てなって、お金より時間だと感じる様になった。
10年ならまだましかもしれない。体感時間がどんどん早くなってしまったら、楽しめる時間はそれより少ないかもしれない。
時間が欲しい。金より時間だ!
とりあえずの解はアルバイト
や、頭悪いなーと思うけど他に思いつかない。
好きな時間に働いて、来月はあまり働かない様にしようとか、今週だけ適当な理由つけて働く時間を減らすとか、できるのはアルバイトくらいしか思いつかない。
うるさい事言わずすぐに日本語できますくらいの理由で雇ってくれるのは人手不足の飲食店業界だから、そこでとりあえず職を得た。
週に20時間以上働けば保険も入れる。夜のシフト専門とかで、月に15万稼いだらあとは遊びたいなー
できた時間で何がしたい?
数少ない好きな事の中に、文章を書く事がある。下手の横好きでもなんでも、残り10年しかないなら(思い込み激しい)やらない理由なんてないよね。
あと、小説が読みたい。忙し過ぎてあまり読めてなかった。もう一回村上春樹を全部最初から読むとかしてみたい。
あとあと、散歩したい。夕方気ままにふらっと散歩しに行っても十分ご飯を作ってお風呂入ってもちろん寝る時間もしっかり取れてる、みたいな生活。
自炊のレパートリーも増やしたいし、おしゃれも研究したいし、絵も描きたい。
人生は多分そんなに長くない。今のうちに、楽しんでおこうと思う。