たのしくも悩ましき、春の夢

タカラヅカ、観劇前ランチ、ひとり暮らし

最強のフィナーレナンバー!「赤と黒」御園座公演ー初日観劇の感想ー

 

御園座公演、「赤と黒」の初日を観て来ました。中日劇場より名古屋駅から近くなりましたねー。名古屋の街は、方向音痴のわたしにも歩きやすい碁盤の目。(歩き出す方向さえ、いきなり間違えなければね☆)中日劇場の時も歩いていた自分には楽勝。延々と東へてくてく(25分くらいはかかります…。)

電車で行く場合の最寄駅は、地下鉄東山線の伏見駅です。6番出口から出て、ほとんど目の前です。

 

けっこう長いフィナーレが付いてました!わーい。

イケコ作品みたいに、最初にかなと君が1人で出て来る。赤と黒をイメージした(多分)変わり燕尾がかっこいい。テーマソング的に赤と黒を歌ったあと、男役と娘役の豪華なリフトありの群舞、(私の海馬は頼りないので順番バラバラかも。)

さくらちゃんが娘役を引き連れての群舞、娘役群舞はないことも多いので、単純に嬉しー。

そして男役群舞!たまきち君が最初に出て来て、黒燕尾に赤い模様が入ったお衣裳が超ハンサム。群舞がなんと最後は客席降りになっていました。フィナーレ客席降りって初めて観たかも。

残念ながら、たまきち君は降りません。後からささっっと出て来た娘役に囲まれて、ゆんゆんされてます。

でもそれ以外の男役さんは、れいこちゃんまで全員客席降りされていたと思う。れいこちゃんは、アレですよ、ショーでトップさんが客席降りする時、最前列の前を通ってウィンクされたりしてるアレ!(ややコーフン気味)2席くらいに、きっちり指差し&ウィンクしたました(いーなー)

でも前列ってトップさんのお客様とか座っていたりするから、やりにくくないのかな?それとも、そういうのって関係ないのかしら。

まさかの客席降りでそのあと記憶がないのだけれど、デュエットダンスでしたでしょうか。

たまきち君の黒いお衣裳とさくらちゃんの赤いお衣裳の対比も鮮やかに、やっぱりたまきち君はリフトぐるぐるされてました。なんか彼(←って言いたい)の十八番になってる感あるリフト。

そのあとパレードです。パレードではれいこちゃんがフーケ(主人公の友人ね)じゃなくて、コラゾフ公爵のカッコで出てきたのが、なんかウケた。

そりゃ、コラゾフ公爵の方が見た目が派手で目立つけれど、お役自体はただの賑やかしだし。居なくても話進むし。ただ2番手役の人が二幕目に出ないとまずい、っていうとってもタカラヅカな理由で存在するお役だし。

なのにフィナーレでその姿で出てくるっていう。フィナーレ全体もそうだけれど、思いっきりサービスするから是非観に来てね!!という劇団の切なる願いを感じてしまったよ。

たまきち君は、ポスターの様に白いフリフリシャツに赤い帯に黒いパンツのシンプル格好いいお姿でした。

 

フィナーレから感想を書いたけれど、フィナーレが良かったっていうより…や、良かったですよ。なんか本気の、客席を喜ばせたい!って意気込みを感じました。でもそれより何より、他に良い感想を書くのが難しい。

 

わたしはたまきち君が好きだ。さくらちゃんにだってそんなに悪い気持ちは持っていない。柴田先生だって、ちょっと古いよなーと思うけれど(ちえさんのさよならとか、オイオイナンジャコリャと思ってしまったけれど)「仮面のロマネスク」とかは好きだし、今回も楽しめるのではないかと思っていた。でもゴメンこれは違う、わたしの観たいものじゃないと思ってしまった。

 

ジュリアンは赤=愛と黒=野心との間で苦悩するお役だ。でもジュリアンの〝愛〟って権力欲とない交ぜになった、支配欲でしかない。少なくとも死刑を宣告させるまでずっとそうだ。相手を支配したい、手に入れたいってだけだったジュリアンが死を前にして、ぐるりと価値観とイデオロギーをひっくり返し、本当の意味での愛と許しを知って死ぬ、そういうお役だと、少なくとも観ているわたしは思った。

たまきち君は芸達者だからそういうお役だと伝わってはくるんだけど…。

ごめん、この役はわたしもっと少年の持ち味のヒトで観たい。少年って言っても、琴ちゃんが今大劇場で演っているみたいな、男臭い若者ではなくて、みりおちゃんが演った「春の雪」の清顕みたいな、愛とプライドの間で彷徨う繊細な少年ね。それも美少年!

でもって、レナール夫人は自分から不義をしようとする様な人ではない。3人の子供を産んだあとでも、どこか少女の様な純粋さを持ったひとだ。自分がジュリアンに好意を持っていることに、自分で気づいてないくらいに。

…ていうお役のハズなんだけど、さくらちゃんのレナール夫人は最初っからジュリアンに喰いつきそうに見えるんだよねー。現実世界にも男と女で態度が変わる女性っているじゃん、そういうなんか女のイヤーな部分を、同性だから感じてしまうイヤーな感じを、さくらちゃん(のレナール夫人)から感じてしまうんだな。ツライ。

そしてこの2人が絡んでるのを観ていると、禁断の恋にうっとりするというより、なんだかすごく生生しくて、まさしく不倫!って感じ。見てはイケナイものを観てしまっている気分になるのですよ、もう。たまきち君もさくらちゃんも、持ち味が現実感ありすぎというか、妖精感が薄いもんだから、もーとにかくナマナマしくって、こういうのもタカラヅカなんだなーとすっかり感心してしまいました。うっとりどころじゃない。

 

ジュリアンがレナール夫人に手を払われた(=見下されたとカン違い)、切れてこの女の手を握ってやるー!→(教会から聞こえてくる)鐘が鳴り終わる間に手を握ってしまえ…!→10、9、8、って心の中でカウントダウンするとこ、なんかちょっと笑っちゃったし、周囲でも笑いが起きていた。

多分たまきち君の男らしい持ち味が災いして、ジュリアンがそんな繊細なヒト(繊細ってゆーかちっさい)に見えないんだよね。だからなんともちぐはぐな感じがして笑いが起きたのかなぁと思う。

 

柴田先生追悼は大事だよ。歴史ある御園座の、宝塚の初公演が大事なのはわかるよ。でもさー、なんでこの作品なんや。もっとトップコンビに似合う作品を当ててくれよー。よっぽど「黒豹の如く」の方がたまきち君とさくらちゃんのカラーに合ってるわ。(ありえません)

 

ジュリアンは妖精タイプじゃないと、禁断の恋って感じがしないわ…。そしてレナール夫人も子供がいるのが信じられないくらい、可愛げがある感じの大人の女の人の雰囲気でないと。

 

言っても仕方がないのだけど、何故みりおちゃんと仙名さんが居た時に再演しなかったんだろう?「赤と黒」は月組の大事な伝統の作品だから、再演時は月組以外ありえなかった、とかなのだろうか。やーでも星組でやってるしなあ。

みりお×仙名さん時代なら、カレーちゃんでもフーケは似合うし、マチルドは絶対音くりちゃんで観たい。あのどこか壊れているけど狂ってはいない、というお役は音くりちゃんならすっごく上手く演じただろう。

マチルドは難しいお役だと思う。ジュリアンに殺されそうになって、恍惚となっちゃう、見方によってはちょっとどうかしているアブない人だ。殺されそうになって喜んじゃうのは、彼女の中二病っぽい憧れに基づいているんだけど、天紫さんには今はまだ難しいのかも。(殺されそうになったあと)「なんて素晴らしいの」とかいうセリフでやっぱりここでも笑いが起きちゃっていたし。

一箇所だけ取り上げてどうこういうのはフェアじゃないかもしれないけれど、役作りに説得力があれば笑いが起きるシーンじゃない。

フーケが役不足(役者の技量に対して、役が小さすぎる)なのも不満だ。かなと君にはこの役は楽勝すぎでしょう。主人公の横でニコニコ人の良さを発揮していれば、それでいいんだもの。フーケとコラゾフ公爵の演じ分けが見所なのかもしれないけれど、前述のとおりコラゾフ公爵は居なくても成り立つ様なお役だからなー。かなと君、力有り余ってんなーという感想しかない。

 

そんなこんなで観ている間しょっちゅう、なんか違うこれじゃない感ハンパない…って思っていたから、フィナーレが本当に楽しかった!これはあれですよ、二本立て公演で芝居があちゃーでもショーがあるから楽しみ、通える、となるあれ。お芝居の間中、常にうっすらともやもやとしているから、フィナーレでそれが一気に消えてくれて、心晴れ晴れになった。フィナーレだけで通う価値ありですよ!(フィナーレのためだけにお金と時間を捻出できるかという問題はさておき…。)わたしが出演者の誰かのガチなファンだったら、フィナーレを心の拠り所に頑張って通うわ。

わたしはそんなお金と時間とそして体力もないので、今日が一回こっきりの観劇になりました。できれば中日と楽近くに観たかったです。だってお芝居に定評のある月組ですから、似合わない服(公演)でもしかるべき回数を重ねれば、しっくり様になって格好よく着こなすようになると思う。その変化を追うのもまたタカラヅカファンの楽しみです。

そして劇団にはいつか1975年の初演時の様に、長い公演期間の本公演でチャレンジして欲しい、それだけ深い作品だと思いました。

 

 

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