たのしくも悩ましき、春の夢

タカラヅカ、観劇前ランチ、ひとり暮らし

夢は叶わなかった。初恋も実らなかった。想い出だけが残った。だが後悔はない。-ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)-雪組大劇場初日観劇感想

 

ーネタバレしてますー

 

初日観てきました。雪組は人気すぎてやっぱりチケットはない。ないまま遠征(通常営業)。

当日券はやっぱり厳しかったです。31日に前乗りして宝塚駅近くにホテルを取って、始発が動く前に行ったけれど今日は元旦。大晦日から阪急電車は動きっぱなし。(お疲れさまです)始発という概念は意味をなさないのでありました。

4時半くらいに着いて立ち見60番台でしたわよ。

 

思いついた順に感想を書きなぐります。自分のための忘備録。今日の想い出に。

ちなみに映画は見ていません。映画の知識ゼロですので、変なこと書いていたらごめんなさい。

 

だいもんが出てくると本当にスターキターてなる。小柄なのに誰よりも自分を美しく見せる術に長けている。ほとんど名人技の域だ。フィナーレの男役群舞で男役を引き連れて踊るだいもんを観ているだけで、涙がでた。なんて完成されているのだろう。

 

だいもんの役は俺と仕事どっちが大事とか迫っちゃう情けない役だ。でも格好良いんだ何故か。情けない奴なのに格好いいんだ

ヌードルスとデボラのシーン。若い2人のシーンは全部泣けた。純粋で可愛いんだ2人とも。夢の様な夢を二人は追いかけている。掃き溜めの様な街で、だいもんのヌードルスは皇帝の様な金持ちに、きーちゃんのデボラちゃんは女優として成功してどこかの国の皇后になるんだ、って。(きーちゃんのデボラちゃんはハリウッドスターからモナコ王妃になったグレースケリーのことが頭にあるのでしょう多分)お互いはお互いの夢を笑わない。叶いっこないって言わない。2人はそれぞれの夢の様な夢を、本気で叶えようとする似た者同士だ。

ヌードルスはデボラがスターになるのを疑わない。オーディションに受かったデボラにバラの小さな花束を渡して、いつかもっと部屋いっぱいのバラをプレゼントしようという。

デボラもヌードルスが大物になると普通に思っている。「あなたは成功するわ」とつぶやく様に、まるで天気の話をする様に、今日は雨だわと言う様に、ごく当たり前のことの様に彼女が言う。「あ、ありがとう」と彼が答える。なんかお互いの相手を信じる心にぐっときた。

ヨコだけど先日観た某舞台で、「私はあなたを理解し、信じるわ」とかヒロインが言っててさー。なんだようそれ、ただのヒロインの設定をそのまんまヒロインがしゃべってるだけじゃんか。そうじゃなくて、どう彼女が彼を理解して、どう信じているのかその中身が知りたいんだってばさー(遠い目)ってなった所だったから、今回のだいきほのヌードルスとデボラの描き方は正にわたしが観たかったものだわよ、イケコありがとう!!な気持ちになった。

 

あとあと、キスシーンが1幕中に3回くらいあって、その時その時の2人の距離感や思いに泣かされた。しかもタカラヅカって感じでまたいいんだ、これが。(ややコーフン気味)

 

一幕の丁寧さにぐっときたけど、二幕は数十年(くらい?)一気に飛ぶからへっ!?ってなった。

禁酒法を良いことに荒稼ぎしていたヌードルスとその一味は禁酒法の撤廃により窮地、追い詰められて暴走系さきなちゃんのマックスが銀行の爆破、襲撃をくわだてる、ヌードルスの密告もあって失敗、その後罪の意識に苛まれて細々と暮らし続けるヌードルスだがそこは描かれない。

一方裏切られたマックスは逆転一発?労働組合の力の後押し(というか操り人形?)を受けて政界にすべりこんでいたのだーという流れなんだけど、その意外な展開もそれ自体は描かれない。

いきなり風采の上がらない白髪混じりのヌードルスと謎に出世していたマックスが出会うんだよね。

わたしは2人の道が見事に分かれた、銀行襲撃後の数十年(?)が具体的に観たかったなあ。描くと長くなっちゃうんだろうか。でもいい女あーさの演じるキャロル(マジで素敵)に2回も長々と歌わせるくらいなら、ヌードルスとマックスのドラマがもっと観たかった。

キャロルが精神を病んでしまう過程とそれを見守った(であろう)マックスの苦悩とかも観たかったんだけどなあ。

あと労働組合幹部からのし上がって政府要職に就いているしょう君のジミーの恐ろしさ、したたかさみたいなのも観たかった。

でもこういうのまで描いてるとダイモンとキーちゃんの出ない場面が長くなって、タカラヅカのお約束であるトップコンビの出番が一番多い、っていうのが崩れちゃうんだろうなあ。

 

ヌードルスとマックス、2人は銀行襲撃事件をきっかけに、一方は陽の当たらない場所を細々を歩くことになり、一方は政界という華々しい舞台を歩くことになった。しかしデボラの言っていた〝陽の当たる道〟を歩んだかの様に見えるマックスは拳銃自殺することになり、政界という〝陽の当たる道〟自体マフィアと切っても切れない関係があり、本当にそれが〝陽の当たる道〟といえるのかっていう哀しさもある。

〝皇帝〟になりたかったヌードルス。夢は叶わなかった、初恋も実らなかった。がむしゃらに生き延びようとした記臆だけ、想い出だけが残った。でも彼はきっと後悔はないだろう。もしタイムマシンで昔に戻れたとしても、また同じ道を歩むだろう、そんな気がした。

 

えー、こういう話をタカラヅカで、しかも元旦にやるってなんかすごいなあとちょっと思った。アメリカ映画には失敗モノというか負け犬の美学とかいうのがあると、どこかで聞いたことがある。

でもタカラヅカって手に手をとって夕日に消えていくというか(実際はスモークの中で踊るとかなんだけど)そういう美しく終わる、みたいなのがセオリーじゃないですか。あるいは華々しく名誉や愛のために死んでいくとか。どっちでもないんですよね、このお話。だいもんのヌードルスは苦いようななんとも言えない笑いを浮かべて花道を去ってゆく、幕。なんですよ。

劇中で明日はきっと良くなる、的な歌詞があった気がする(記臆力ない)そんなことも思い出す。なんだか今の日本、これから人口が減ってゆくことが決まっていて、見わたしても明るい話題なんてほとんどない、みんな恵まれていても貧乏でも不安でいっぱいに見える、そんな今の様な時代に、この作品がある意味みたいなのを考えてしまいました。うまく言えないのですが。

 

できれば明日も観ます。すごい深い作品っていうか、だいもんのヌードルスが深い。その深さをもう一回のぞき込んでみたいです。