たのしくも悩ましき、春の夢

タカラヅカ、観劇前ランチ、ひとり暮らし

表彰状と面倒な自分

今週のお題「表彰状」

 

表彰された記憶、表彰された記憶、、、、

 

ない。

いやあった。小学校の時の何か。

もう何の表彰だったかも覚えていない。

 

朝礼台までわざわざ出て行かなければならなくて恥ずかしかったのと、

その際名前を間違って呼ばれたのが恥ずかしかったのと(明らかに私なんだけど、例えば〝はぶさん〟なのに〝はにゅうさん〟と呼ばれるみたいな感じの呼び間違いで、なぜか私的にはそれも恥ずかしかった)

そのあと部屋の中にわざわざ額縁にいれて飾ってあったのが気恥ずかしかったのと、

なんかもう、表彰にまつわる記憶のすべてが、居心地が悪かった思い出しかない。

なんでそんなに嫌だったかというと、今思うに自分はそんな〝栄誉〟に値しない、という気持ちが強かったのだと思う。自分が周りの皆んなを騙しているみたいな気分だった。

ただの小学校のなんかの表彰なんか適当に受け取っておけばいいものを、ムダに真面目な性格が災いして必要以上に重く受け止めてしまっていた。

大人になってからも、この〝ムダに真面目な性格〟に振り回されていて、例えばこのブログだって、もっと書きたいのにあれこれ考えてしまって、そのうち書くのが気が重くて、楽しみで始めた事が楽しくなくなってしまう、みたいな事が起こります。 

ムダに真面目な性格って、治らないなあ、とうんざりしていたのですが、

最近為末大さんの「逃げる自由」を読んで、序文からいきなり少し気が軽くなりました。

「こうあるべき」とか「こうせねばならない」という呪縛から自由になるためには、自分や他者を早めに、そしてこまめに「がっかりさせておく」ことだと僕は思う。つまり、独り歩きしている理想、目標、基準……そんなものから距離を置いてみるということだ。

 

子供の頃の自分は(そして今も)、表彰されるひとはこうあるべき、などという考えにとらわれていたのかな、と思います。

〝ムダに真面目〟はそのへんから来てるのかと。

 

距離ができると、その理想はそれほど価値のあるものなのか、それは誰の理想なのか、といったことを冷静に考えることができるようになる。 

 

100%自分の理想、と思っていてもそれはいつかどこからかやってきた、誰かの理想なのかもしれません。人のために生きているのではないのだから、いつか自分の理想を生きてみたい、あるいは理想なんて全く関係なくただ生きてみたい。

つきつめると仏教とかにいっちゃいそうだけど(笑)、もう少し肩の力を抜いてみようと思います。

 

逃げる自由 〈諦める力2〉

逃げる自由 〈諦める力2〉

 

 

 

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