たのしくも悩ましき、春の夢

タカラヅカ、観劇前ランチ、ひとり暮らし

「おしゃれはほどほどでいい『最高の私』は『最少の努力』で作る」を読んだ。感想!

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ここ数日、わたしのメンタルは低調である。原因ははっきりしている。Googleアドセンスの審査にまた落っこちたのだ(何回目?)

ひと様の評価=自分の価値ではないことは分かっているつもりでも、気分はよろしくない。せっかくの半休続きだというのに、映画も大好きなタカラヅカも、まあいいや今日は、となって家でふて寝しているのである

非常によくない傾向だ。そろそろ気分を上向きに回復したい。サクッと1時間くらいで読めて、アガる本でも読もう。家にいて楽しめるのが読書の良いところだよね

 

という訳で読んだのこちら

おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る

おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る

 

 

 

「赤い口紅があればいい」の続編!

ピチカートファイブのボーカル野宮真貴さまのご著書だ。前作赤い口紅があればいい いつでもいちばん美人に見えるテクニックの続編にあたる

前作にはすっかり感化されて赤い口紅を買ってしまった。300円ショップのだけど、なかなか良い。顔がパッと明るく見える(気がする)

今作も、還暦が近い著者が〝おしゃれはあきらめなくていいよ、でもがんばらなくてもいいよ〟と励ましてくださる。ちょっと元気でて来た

料理研究家の土井善晴さんが書いた本一汁一菜でよいという提案が大変人気だが、この本は〝一汁一菜〟のおしゃれバージョンである

 

ところでこういう、頑張りすぎなくていいよと言ってくれる本が人気なのは興味深い。みんなアドセンス申請に疲れているのかしら(違う)

いろいろ情報過多で、あれもしなきゃこれもしなきゃちゃんとやらねば、みたいになっていっぱいいっぱいな人が、多いということかもしれないな

お料理研究家に、最強のファッションアイコンに、つまりは〝その道のプロ〟に簡単でいいのですよ!と言ってもらえるのは本当に助かる

 

野宮真貴さんの〝一汁一菜〟

野宮真貴さんの提案する〝一汁一菜〟はメイクでいうと、もちろん赤い口紅

赤い口紅は、ぜひチャレンジしてください。メイクの一汁一菜は、ナチュラルメイクに赤い口紅です。

 とある。しかし単に赤い口紅を引けばよいというものではない

 

赤い口紅は、よそゆきメイクにしかつかえないと思いがちですが、実は普段メイクにこそ力を発揮します

という 野宮真貴さんのナチュラルメイクは

 

①ヘアをひっつめる(大人の後れ毛は、ただの疲れた人にしか見えないのでヘアワックスで撫でつける)。

②洗顔後、化粧水と美容液で肌を保護

③BBクリームをファンデーションブラシで大雑把に塗る。

④パウダーを軽くはたく。

⑤眉をしっかり描く(眉ティントしていると楽!)。

⑥目元はあえて手をつけない(余裕があればパールの練りアイシャドウを指でひと塗り)。

⑦赤い口紅を塗る(ティッシュで軽く押さえて、セミマットにする)。

⑧赤い口紅を頬にのせ指でぼかす(もちろんチークを塗ってもよいが口紅だと時短になる)。

⑨仕上げに大ぶりのピアスやイヤリングを!(小顔効果あり!)

という9段階の手順を踏む、一見すると手の混んだもの。でもよく読むとそうでもない。特にアイメイクを省略しちゃうのがいい。アイラインを引いてビューラーしてマスカラ付ける過程が、けっこう時間を食うんだよね

口紅をチークに流用しちゃうのもいい。こうすると、口紅とチークの色が微妙に合わないなんてこともなくなるし

メイクの過程なのにピアス&イヤリングが出てくるのも達見!顔全体を仕上げる、という観点から言って、耳に何かを付けるのも〝メイク〟なんだ

 

私のメイクが、簡単なのにしっかりメイクしているように見えるのは、赤い口紅のおかげです。

これ!というパターンを一度身につければ、そんなに気合い入れなくても、ほどほどでも、いつもと同じでも、おしゃれに見えるということだろう

 

おしゃれはほどほどでいいー魅力 

野宮真貴さんの提案する〝ほどほどのおしゃれ〟は、一見〝パターンを決めてしまう〟ということに尽きる様に見える。これはワードローブを制服化しようとか、フランス人は10着しか服を持たないとか、今まで読んで来たファッション=シンプル提案の本と同じだ

しかしながら、この本が他の本と違うのは〝じゃあ何を自分のパターンにするのか〟というヒントにあふれているという事だ

赤い口紅に代表される具体的なハウツーが他にもたくさん載っている。野宮真貴さんが、ではなぜそう考えるのかが面白い

数あるおしゃれハウツー本にはない、彼女のおしゃれ哲学がつまっている

この本には、これまで野宮真貴さんというひとりの人間が積み上げてきた人生がある。おしゃれ=その人のそれまでの人生を表現するもの、と言っても過言ではないと思わされた

言ってる内容(方法論)そのものより、誰が言っているのかの方が大事、ということなのかもしれない

 

実年齢と内面の差

野宮真貴さんから天と地ほど離れているはずのわたしでも、びっくりするくらい共感できる箇所もあった

外見は十分すぎるほど大人になっている私ですが、内面はといえば、若い頃とさほど変わっていないというのが正直なところです。感覚としては30代後半でしょうか。

50代にもなれば、もっと落ち着いた品位ある大人の女性になるものと思いきや、現実はまったくそんなことありません。

わお!

わたしなんて今年40になるというのに、まだ学生時代と変わらない気分で過ごしている。結婚も子育てもしていない。20年前と変わらず、好きな映画とか舞台を見て日々過ごして居る。不足はない。でも時々それが、大げさに言ってしまうと、自分は社会不適合者なんじゃないかと感じられて不要に落ち込むことがある

けれど、実際の年齢と内面の体感年齢(?)が一致しないって、こんなになんでも持っている様に見える、野宮真貴さんみたいな方でさえも感じることなんだ!とちょっと驚いたと同時に安堵した

わたしはわたしが思っているほど、変ではないよきっと。そう思えた
 

私が実践しているのはむしろ「エイジレス・エイジング」。加齢に抗うのでもなく、受け入れるのでもなく、超越してしまうこと。つまり、何も気にしないで自分の心に任せてその日その日を楽しんでしまうことです。

ありったけのアクセサリーを重ねづけして、あえての〝トゥーマッチ〟を楽しんだり、全身を同色で統一したり、柄ON柄でコーディネートしたてみたり、大人だって、いえ大人だからこそ、時には羽目を外して好きなものを好きなように着てたのしんだっていいのです。その場合〝おしゃれ〟は二の次。自分がたのしければそれで良し!です。

加齢を気にしないとかじゃなくて、加齢という概念自体、無視してしまえ!てことか。すごく新鮮。加齢?なんですかソレ。その心持ちでいるためには、肉体の健康ってすごく大事だなと思った

アラフォーだから、とか考えるのつまらない。アラフォーという概念自体いらない。わたしはいくつになっても、ただわたしでいるだけだ

何も生み出さないかもしれないけど、何かを感じて今ここに生きて居る

何も気にしないで自分の心に任せてその日その日を楽しむ。今のわたしに必要なのことは、まさしくこれだ

明日は赤い口紅をつけて、大好きな劇場へ行こう

 

おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る

おしゃれはほどほどでいい 「最高の私」は「最少の努力」で作る

 

 

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