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タカラヅカ版「天(そら)は赤い河のほとり」は私をときめかせてくれないー感想

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漫画「天は赤い河のほとり」は大好きです。演出家 小柳奈穂子先生も大好き

大好きな作品×大好きな演出家なのに、なぜ〝惜しいなあ〟という気にされられてしまうのか、考えてみた

 

 

少女漫画をタカラヅカ化する時の難しさ

タカラヅカで少女漫画はとても難しい

「ベルサイユのばら」のタカラヅカ版が記録的な大ヒットをしてしまったために忘れがちになるのだが、少女漫画はタカラヅカの苦手とするところ

なぜなら主人公が女性。あたり前なんだけど少女漫画の主人公は女の子だ。これがタカラヅカで舞台化する時にネックになる

タカラヅカの主人公は常に必ずトップスターが演じる男性キャラクターだからだ。これは圧倒的に男役の方が人気のあるタカラヅカの決まりごと。数少ない例外はあるが、ビジネスの面で稼ぎ頭は娘役でなくて男役なのだ

だからトップスター>トップ娘役の立ち位置は絶対に変わらない

(〝トップスター〟というときは必ず男役。娘役がトップスターになることはない。娘役の頂点は〝トップ娘役〟という。ややこしい)

女性が技術を積み上げて男役を演じるのは、女性が娘役を演じるより難しいとされているため、男役の方が重宝されているというのもあると思う

〝男役10年〟という言葉すらある。男役は10年やってようやく一人前、みたいな意味だ

何はともあれ、まずは男性キャラクターを主人公にするところからスタートしなければならないのは、タカラヅカの宿命なのだ。そこに少女漫画を持ってくると、必然的に主人公を変えなければならなくなる

普通に考えて、面白いストーリーを、主人公を変えても面白さが変わらない様にするのはかなり難しい

少女漫画でも主人公が男の子の「ポーの一族」は成功しやすかった。原作の素晴らしさに加え、〝永遠の少年〟を持ち味としている花組トップスター、明日海りお(あすみ りお)の再現力が見事に調和して大ヒットした

「ベルサイユのばら」があれだけ成功したのは、主人公オスカルが男装の麗人という、まさにタカラヅカの男役そのもののキャラクターだったからだ

王道の少女漫画はタカラヅカ化しにくい。今回あらためて強く感じた

  

原作をできるだけ盛りこんでいるが展開が早すぎる

とにかく時間がない、これに尽きる

原作漫画は全28巻ある。それを1時間30分の中に詰め込んでいるので、冒頭でユーリが泉から出て来て、最後の方でカイルとラムセスが一騎打ちするまで1時間20分くらいしかない。仕方のないことなんだけど、原作に忠実に再現しようとするのは、土台無理がある

だったらなぜオリジナルなお話にしなかったのだろうか。同じく全28巻ある漫画「るろうに剣心」のタカラヅカ版では、ヒロイン(この舞台では薫)を剣心と取り合う2番手の役はオリジナルのキャラクターで、ストーリーも最初の方は原作から取り入れていたけど、中盤以降はオリジナルだった。そして大ヒットした。同じ様にする訳には行かなかったのだろうか

もちろん「天(そら)は赤い河のほとり」と違い、「るろうに剣心」は1時間30分に加え、通常はショーの部分の1時間も使って計2時間30分と、長さに恵まれてたことは確かだ

だからなおさら、今回は時間が1時間30分しかないのだから、オリジナルのストーリー展開でも良かったのではないかと思ってしまう

まあでも「天(そら)は赤い河のほとり」もタカラヅカオリジナルといえばオリジナルだ。色々はしょってツギハギしているせいで、同じお話に見えないから

…。自分でもひどい感想だと思うよ。でもこれは、わたしが観たかった「天は赤い河のほとり」じゃない

 

原作の魅力はどこにあるのか

漫画「天は赤い河のほとり」が面白いのは、少女漫画あるある、登場するイケメンにつぐイケメンが皆こぞって、主人公の女の子のことを好きになったり恋するところだと思う

この設定は、少女漫画の定番の1つといってもいいのではないか。敵国の王子たちも恋人の弟も恋人の部下もみーんな主人公が大好き☆

個人的には(アホらしいのは)わかっちゃいるけどやめられない的な面白さだ

でもタカラヅカ版「天(そら)は赤い河のほとり」ではカイル以外でユーリに恋するのは2番手が演じるラムセスだけだ

なんでだ、ハーレムにしてくれ、原作の楽しさはそこだろう!!(力入りすぎ)

いや、でも分かっていたんだ。トップ演じる主人公と2番手演じる男性が、トップ娘役演じるヒロインを取り合う、ていうのはタカラヅカのお約束

あまり色んな男にいいよられる設定だと、トップ娘役の品格を保つのは難しい。そういう設定だとだいたい悪女役になるんだよね、カルメンとか。トップ娘役が悪女を演じるというのがウリ、みたいなことになる

でも今回、主人公は高校生だ。ある種の純粋さみたいなのが求められているのだと思う。原作はそこが上手くて、ユーリのピュアさを保ちつつ、ハーレム状態でモテモテを描いていた

タカラヅカでは無理だったのか…(しょぼん)というのがひとつ

 

物語はこころの変化が見えないとつまらない

原作のユーリのこころの変化に、夢中になったのを思い出す

カイルへの想いの他に、古代の異世界に来て皆んなと出会って、色んなひとのために頑張ったりしつつも、帰りたい気持ちももちろんあって、、というところから、この古代ヒットタイトでイシュタルという役割を引き受けて生きていくという決意をする流れにドキドキした

一方、カイルの方はというと、ユーリに惹かれつつも、元の世界に帰してあげなきゃ、でも彼女を手放したくないっていう葛藤をしてくれるところにキュンキュンした

タカラヅカ版「天(そら)は赤い河のほとり」はそのへんが雑だ

 

イシュタルの自覚が芽生えるの早すぎ

はじめの方で、はやばやと黒太子マッティワザと対決するんだけど、ユーリはイシュタルを自ら名乗って、切りつける(武術はいつ習ったんだ)

いきなり切りつけるのはまあいい、人質になった女たちのためってことで

でもイシュタルを自ら名乗るのはどうなんだ。原作ではもっと自分のアイデンティティに悩むと記憶してるんだけど(イシュタルなんかじゃないのに、普通の高校生なのにって)

この舞台ではなんだか開始早々、あっさり自分はイシュタルだと自覚してるみたいで違和感がある

周囲の態度も腑に落ちない。原作ではカイルも含めて、はじめはユーリがイシュタルというのは外部に向けての方便だったのが、本当に彼女の性質の中にイシュタルを見い出していく、そこがユーリ(=読者)としては気持ちよかった

それなのに舞台では、周りのキャラクターはみんなあっさりユーリ=イシュタルで受け入れちゃう。黒太子に切りつけたってだけで

 

カイルのユーリに対する葛藤が(少)ない

カイルはあっさり彼女を返そうとするし、ユーリはあっさりこの世界に残る決意をする(様に見える)

中盤あたりの銀橋(ぎんきょう※エプロンステージ)の芝居でそれをやるんだけど、唐突なのだよ2人とも。いつ葛藤したんだろう?

それまでの芝居でやってるのは、お互いに好意を持っているのが分かる(ハートのタブレットが出てくるエピソード)のと、お祭りに行って一緒に踊るのと、カイルはユーリに、『タワナアンナになるひとりを生涯愛し抜こうと決めていること』を話すくらいだ

その後すぐに皇帝がナキア皇后に毒殺されてカイルとユーリに嫌疑がかけられ、2人はバラバラ、銀橋の芝居で再開するまで交流はない。遠く離れている相手をお互いに想う場面もない

葛藤してない。少なくともしている様にみえない。していましたーという設定で銀橋の場面に出てくる。それってどうなんだ

銀橋で「私はこのマラシャンティアのほとりで生きていく!!」てユーリが言っていて、カイルも「2人なら飛べる」とかなんとか歌うんだけど、(そういえばミュージカルだった)もう唐突すぎてついていけん

新しいトップコンビのお披露目というのも、場面にかけてるんだろう

このタカラヅカのお約束にガチガチに縛られている様に見えるのも、いま1つ盛り上がらない理由かもしれないなと思う

「天は赤い河のほとり」をタカラヅカ化しました、というよりタカラヅカのお約束に「天は赤い河のほとり」を当てはめてみました、という方が近い

タカラヅカファンとして、お披露目公演らしいシーンを喜ぶ気持ちもあるけれど、原作も大好きな身としては都合よくエピソードを使われているみたいで、複雑な気持ちにもなる。ていうかもっと上手く使ってくれー

 

むしろ2人の皇女の物語を描きたかった?

限りある時間で、ユーリとカイルの心理描写をしないなら、何をしているのかというと、ナキアとネフェルティティの2人の皇女の心情の変化を回想シーンつきで表現している

これは時間を割いてまで、やる必要があったのだろうか。物語として、最大の敵ナキア皇妃は必要だと思うけど、ネフェルティティ王太后まで回想シーンつきで表現しなければならない必然性がよく分からなかった

だって2人はほとんど同じキャラクターだ

なぜ権力を欲する様になったのか。過去に愛を犠牲にして、国の頂点まで上り詰めたその哀しみ、みたいなやつ

ラムセスと絡めてエジプト編のエピソードを入れるために、そしてナキア失脚の理由のために、ネフェルティティは必要なのかもしれない

でも子供時代のネフェルティティ(タトゥーキア)が出てくるのは、黒玻璃のイヤリングのエピソードを入れたかっただけだろう。ネフェルティティの胸像はなぜ片目なのかという、現実世界にリンクしたエピソード

黒太子マッティワザが姉のタトゥーキアに対して、恋に近い愛情を持っていたという設定は劇中でほとんど触れられないので、そっちが理由ではない

わたしも胸像のエピソードは好きだけど、1時間30分しかないのになぜ入れる!?

黒玻璃のイヤリングエピソードを入れるなら、せっかく美貌の3番手が演じている黒太子の、タトゥーキアへの想いをもうちょっと丁寧にやっても良かったんじゃないか。タカラヅカ的にも胸像よりそっちだろう

赤い河をマラシャンティアと言わせているところでもなんとなく思ったけれど、小柳先生は作品に重みとか格調をつけたかったのかなと思ってしまった

わたしにとって「天は赤い河のほとり」の良いところはそこじゃない

ただの平凡な女の子が次から次へイケメンたちに言い寄られ、いちばん好きな人と波乱万丈ののちに結ばれ、ラブラブシーンもいっぱいあって、見た目だけじゃなく内面も評価され、時代を象徴する女神として生きる意味を見出してがんばる話でご都合主義満載だけど、ぶっちゃけハーレクインロマンスと大差ないけど、そこが良いのだ。それで良いのだ。女子の夢満載!格調とか気にしなくていいし!

 

いや、小柳先生が何を思ってこの作品を作ったのかは知らんけど。ただの想像だけど。わたしの好みと違うってだけなのだろうけど

小柳先生はカイルとユーリにあまり興味ない様に見える。そこにしょぼん…となった

 

それでもリピート観劇はタカラヅカファンのサガだ

こうやって4000字を超える不満を書き連ねておきながら、もう見に行かないかというと、それはない(笑)

なんだかんだ言って、結構楽しんでいる

なぜならどんなに(私から見れば)ひどい脚本と演出でも、演じるタカラジェンヌたちは本当にすごい。どんな作品でも熱い技術とハートで鑑賞に耐えうるものにしてくれるのだ

カイル・ムルシリを演じる真風涼帆(まかぜ すずほ)の堂々たる姿よ。どんなにストーリー展開がむちゃくちゃでも、まっいいかと思わせてくれるのだ

作品に愚痴りながら、真風くんかっこいーまどかちゃんかわいいーで結局終わる

我ながら馬鹿らしいが、ヅカの沼は深い。絶対にマラシャンティアより深いよね

当分抜けられそうにないのだ

 

 

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